第1回(平成13年度)山崎貞一賞 生理学・生化学分野
一分子動態解析法の開発
受賞者 | ||
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木下 一彦 (きのした かずひこ) | ||
略歴 | ||
1969年 | 3月 | 東京大学 理学部 物理学科 卒業 |
1971年 | 3月 | 東京大学大学院 理学研究科 修士課程 修了 |
1974年 | 3月 | 東京大学大学院 薬学系研究科 博士課程 修了 |
同年 | 4月 | 日本学術振興会 奨励研究員 |
1975年 | 4月 | 東京大学 理学部 研究生 |
1976年 | 3月 | 米国ジョンスホプキンス大学 医学部 ポストドクトラルフェロウ |
1978年 | 2月 | 理化学研究所 研究員 |
1986年 | 7月 | 理化学研究所 副主任研究員 |
1989年 | 4月 | 慶応義塾大学 理工学部 教授 |
2001年 | 4月 | 岡崎国立共同研究機構 統合バイオサイエンスセンター 教授 |
現在に至る |
研究開発の背景
ヒトをはじめあらゆる生き物を動かしているのは、たんぱく質(ないしRNA)でできた「分子機械」です。たった1個の分子が、それだけで、立派に機能を果たすので、こう呼ばれます。図1に例を示すように、原子が縦・横・奥行きとも数十個ならんだ程度の小さな塊、それが分子機械です。図1は回転モーターで、中央の黒い部分が、クルクルと回ります。
小さいけれど力持ちで効率よく働く分子機械、その仕掛けを探りたいと思いました。まずは、光学顕微鏡の下で、1個1個の分子機械が働く所をじっくりと見る工夫をしました。さらに、光や磁気を使って分子機械に操作を加えてみました。すると、ヒトの作る大きな機械とは、だいぶわけが違うことが分かってきました。

図1 分子1個でできた回転モーター。粒々に見えるのは原子。
研究概要
分子機械の大きさは10ナノメートル、すなわち10万分の1mm程度で、光の波長の数十分の1ですから、そのまま顕微鏡で覗くのは大変です。そこで、分子機械よりはるかに大きな「目印」を付けてみました。図2のように、回転分子モーターの回転軸に、モーターの大きさの何百倍もあるような長い棒を付けた所、クルクル回るのが見えました。生体モーターですから、当然水の中で回るのです。自分の身長の百倍以上の棒を水中で振り回すのですから、この分子モーターがいかに強力かお分かりいただけると思います。
回転をよく見ると120度おきのステップ状回転をしており(図2b)、このモーターの駆動部が3箇所ある(図1の灰色の部分)ことから予想されるとおりでした。ところで、図3に示すように、ステップは完全に不規則に(確率的に)起きるのです。しかも、たまに間違えて逆向きにステップしたりします(図3の45秒付近)。
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図2 分子モーターの回転の観察。 図1のモーターの回転子部分に長い棒(橙色)を付けてみた所、(b)の連続写真のように、120度おきのステップ状に回転するのが見えた。 |
図3 分子モーターのステップ状回転。 |
ヒトの作る機械と違い、確率的な動きをするのが分子機械の大きな特徴です。このため、多数の分子機械を一斉に調子を合わせて働かせることはできません。分子機械の動作原理を探るためには、どうしても1個1個が働いている所を見ないといけないのです。
大きな目印を付けるばかりが能ではありません。分子機械よりずっと小さい、原子数十個でできた蛍光色素分子を付けて、その動きや向きの変化を見ることもできます。中くらいの大きさの目印を使うと、分子機械の速い動きを精密に測れます。
いろいろな目印を使い分けることにより、分子機械の仕掛けが分かりはじめました。多くの分子機械は、図4のATPという小分子を分解して得られるエネルギーにより働くのですが、一番大きな仕事をするのはATPを結合するときで、次は分解産物を放出するときらしいのです。結合・放出に伴ってたんぱく質分子が大きく形を変え、それが仕事につながります。モーターの回転機構に関しては、仮説を提出できました。

図4 たんぱく質分子機械の働く仕組み。
モーターの回転軸に磁気ビーズを付けてやると、磁石を使って無理やり逆回しもできます。するとATPが合成されてしまいます。実は、このモーターの生体内での役割は、逆回りしてATPを合成することなのです。図5では、DNAの端に付けた磁気ビーズを磁石で引っ張っておき、RNA合成酵素という分子機械にDNAの遺伝情報を読ませました。ビーズはクルクルと回り、らせん状のDNAがRNA合成酵素の中をねじのように進むことが分かりました。ビーズの回転を詳細に解析することにより、1本のDNAから配列を読み取れるかもしれません。図6では、DNAの両端に付けたビーズを光でつまみ、DNAを結ぶことに成功しました。ミクロの手術糸に使えそうです。
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図5 DNAの遺伝情報はDNAの右ねじらせんに沿って読まれる。 | 図6 DNAを結ぶ。 |
駆け足で振り返った研究を実際に進めたのは、慶麿義塾大学木下研究室のメンバー、および早大石渡研・東工大吉田研を含むCRESTチーム13のメンバーです。心から感謝いたします。
研究の展望
分子機械の働く仕掛けが、少しづつ分かりかけてきました。「生きた」たんぱく質分子、今まさに働いている分子機械1個1個を、その場で観察し、必要なら操作を加えて反応を見る、「一分子生理学」のおかげです。とはいえ一分子生理学はまだ生まれたてで、今の所、研究者の熱意・努力に加えて運に恵まれないと成果が得られません。運頼みを「技術」に昇華させ、この新しい学問をしっかり根付かせたいと思います。分子機械の妙に魅せられ、何とか理解したいものだともがいて来ました。ここ1・2年、内外で一分子生理学の仲間が急に増えてきたようで、心強い限りです。