第3回(平成15年度)山崎貞一賞 計測評価分野

温度可変SPM(走査型プローブ顕微鏡)の開発

受賞者
岩槻 正志 (いわつき まさし)
略歴
1973年 3月 山形大学 理学部 物理学科卒
同年 4月 日本電子(株) 入社
1977年 9月 米国駐在,1981年12月 帰国
1984年 5月 独国シーメンス社 中央研究所 駐在
1989年 5月 超高真空温度可変STM開発
2002年 取締役,半導体機器技術 本部長
現在に至る

選考理由

 岩槻正志氏は、走査型トンネル顕微鏡(STM: Scanning Tunneling Microscope)による温度可変での原子レベル表面観察へのニーズに対応するため、世界で始めて超高真空温度可変STMの開発を行い、市販装置として完成させるとともに、結晶表面での相変化を始めとする諸現象の観察結果を数多く発表してきた。今回の応募内容はそれら一連の成果を対象としたものである。 氏は、極低温から高温までの領域で試料温度をダイナミックに変化させ、安定な原子像を観察するために、STMの要素技術の開発に取り組んできた。それらの要素技術としては、ステ−ジの熱拡散が試料中心から同心円状になるようにしたドリフト・フリ−構造、STMの心臓部にあたる駆動体としての堅くて小さく軽い高速走査型スキャナ−、試料の小型化による発熱量の抑制方式、清浄表面維持のための3室構成独立排気構造などがあり、これらを組み込んだSTM装置を完成させた。像観察室の到達真空度としては 2×10-9Pa 以下が達成され、30Kの極低温あるいは800℃以上の加熱時でも試料ドリフト量は常温時と同程度の0.01nm/s以下に抑制されている。これだけ幅広い温度領域で原子レベルでの直接観察が可能な装置は他になく、2002年度までに世界各国の研究機関に超高真空型及び高中真空型を含め約470台が納入されている。装置開発の過程では共同研究者らと多くの適用事例の報告も行ってきた。シリコンの表面構造の研究は、従来反射高速電子線回折(RHEED)法や低速電子線回折(LEED)などにより行われてきたが、表面の規則構造の観察に限られていた。氏は温度可変STMを用いてSi(111)表面像を観察し、860℃においては1×1構造上の振動又は揺動原子像と7×7再配列構造の像とが混在するのに対し、840℃では完全に7×7再配列構造のみに変わることを見出して、結晶成長の始まりと完了の様子を明らかにした。また、シリコン原子を36個分の高さに積み上げた超ミクロなピラミッドの創製や、シリコン結晶に幅2nmという細い線で文字を描くことも可能にしている。これらの研究成果は、原子の挙動の解明のみならず、ナノテクノロジ−の発展を加速するものとして高く評価される。中核的な要素技術である圧電スキャナー及びSTM制御方式等の特許は氏が単独発明者になっており、応用研究を含めた一連の研究も氏の主導のもとで進められてきた。研究内容は山崎貞一賞計測評価分野での受賞要件である、「計測機器・技術の創出と実用化に貢献し、将来の発展を期待し得る業績」に合致し、且つ受賞にふさわしいレベルをもつものと見なされることから、今年度の受賞候補として推薦する。

研究の背景

 1982年に誕生したSTM(Scanning Tunneling Microscopy)は、原子レベルでの表面観察装置として研究分野のみでなく、産業分野でも半導体産業の発展とともない脚光を浴びていた。表面構造の研究には、反射高速電子線回折(RHEED)法や低速電子線回折(LEED)法、反射顕微鏡(REM)法などが主に用いられていたが、表面の規則構造の観察が主であり、局所構造を原子レベルで観察することは不可能であった。我々は、東京工業大学高柳研究室とこれらの問題を解決するため超高真空TEMに組み込む超小型STMの開発を行っていた(J.ElectronMicrosc.40、48-53、1991)。しかし、装置の特殊性や汎用性から多くの研究者が受け入れられる専用機の開発の必要性を痛感した。また、研究者の間では温度可変下で局所構造を原子レベルで観察したいとの要請が多く寄せられていた。これらの要請に応えるため、電子顕微鏡の技術をベースに、課題である1)ドリフト対策、2)振動対策(床、音響)、3)スキャナー対策を行うため、新規にステージ構造の開発、除振系の開発、高剛性スキャナーの開発を行い、超高真空で原子レベルでの清浄な表面観察が可能な構成を取るとともに、極低温から高温までの温度変化に対応させる材料や構造の選択を行い研究の汎用性を維持できる装置開発を行った。

業績内容

 走査型トンネル顕微鏡法(STM)は、非破壊での電子線を用いるため原子レベルでの表面観察が可能であるが、活性な表面の観察や温度的にダイナミックな変化を伴う観察は困難であった。このような欠点を克服することは、STMの最大の特徴を出しながら材料科学や表面物理の研究に大きな貢献が可能となる。本装置開発では、このような極限条件でも原子レベルでの動的観察が可能にするため、あらゆる要素技術を見直した。特に、熱的なドリフトがナノ領域での観察の大きな問題であり、新規にドリフトフリーの考えを導入して開発を行った(図1)。このステージは、断熱構造を高めるとともに、熱膨張を同心円上に行わせることで、観察領域を見かけ上停止できる構造にしている。また、STMは機械的な走査のため、動的観察には高速走査が必要であり、スキャナーの開発が重要である。高速走査のためには、スキャナーの剛性をあげる必要がある。このため小型の積層形スキャナーを新たに開発した。この方式により固有振動数で160kHzという高剛性を達成することができた。また、真空の向上はシリコンなどの活性な表面では重要であり、長時間観察のためには 10-8〜10-9Pa が要求される。本装置では、除振特性を上げながら超高真空を達成するため、3室独立排気の構成とするとともに、エアーダンパーの位置を試料位置に近付けるため、除振テーブルを加工してチャンバーを取り付ける工夫をした。チャンバーは、試料導入室、試料処理室、観察室からなり、試料処理室は各種の試料処理の取り付けが可能になっている。像観察室は、試料の冷却や他の分析装置の付加が可能なように、多くのポートを準備した。この結果、図2に示すような高温での原子観察が可能な装置として、超高真空温度可変走査トンネル顕微鏡(Variable Temperature STM: VT-STM)と名前を付けた(Nature 351、 6323、215-217、1991)。本装置の温度可変範囲は、低温では30Kであり、高温側では1000℃まで可能である。また、800℃以上で加熱していても試料の熱ドリフトは常温時と同程度の0.01nm/sを達成している。図2には,Si(111)7x7表面を860℃から864℃に変化させたときの表面のダイナミックな変化を観察したものである。数℃の変化で、表面構造が崩壊していく過程が観察できるとともに、7x7表面構造がステップ端をトリガーとして成長していく過程が明瞭に観察されている。 その後STMは、非伝導性試料観察手段として開発された原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscopy :AFM)などとファミリー化されSPM(Scanning Probe Microscopy)と呼ばれており、現在我々が供給しているAFMにも温度可変機能は組み込まれており、絶縁試料の温度変化での原子レベルでの挙動の観察が可能であり、多くの研究者に研究の重要な手段として利用されている。

本業績の意義

  本関連装置は、多くの研究機関で使用されており、現在世界中で500台強が稼働している。使用機関は、国公立研究所、大学等、民間研究機関や生産ライン評価部門など多岐に渡っており、使用分野も基礎科学のみでなく、材料科学の分野でも、触媒、半導体、高分子、磁気材料、また生物分野にも多く使われている。本装置は、前述の温度可変SPMとして基礎科学分野ではさらに微細な構造の研究に用いられつつ有るとともに、実用面ではナノデバイスを作製するナノマニピュレータとしての役割も期待されており、また温度を可変することにより、自己組織的に量子素子を作製する研究も進めておりナノ技術の進展とともに無くてはならない装置となるものと信じるものである。

図1.ドリフトステージ構造 図2.Si(111)表面の高温観察
        図1.ドリフトステージ構造 図2.Si(111)表面の高温観察

写真

↑このページの先頭へ