第7回(平成19年度)山崎貞一賞 計測評価分野

多角入射分解分光法の開発と超薄膜の構造解析への応用

受賞者
長谷川 健 (はせがわ たけし)
略歴
1989年 3月 早稲田大学 理工学部 化学科 卒業
1991年 3月 京都大学大学院 理学研究科 修士課程修了
1993年 4月 神戸女子薬科大学 薬品分析学研究室 助手
2001年 4月 神戸薬科大学 薬品物理化学研究室 講師
2003年 4月 日本大学 生産工学部 応用分子化学科 助教授
2004年 10月 JSTさきがけ「構造機能と計測分析」 研究者(兼任)
2006年 4月 東京工業大学大学院 理工学研究科 化学専攻
助教授
2007年 4月 東京工業大学大学院 理工学研究科 化学専攻
准教授
現在に至る

授賞理由

 長谷川健氏は、超薄膜の分子配向を計測する方法として、仮想縦波光概念を用いた多角入射分解分光(multiple-angle incidence resolution spectrometry: MAIRS)法を単独で創出した。
 透過吸収法と反射吸収法は互いに相補的な表面分析法であり、この両者を使用して、物質膜の構造異方性(分子配向)の情報を取得することができ、これらの方法は、従来から広く利用されてきた方法である。しかしながら、これらの従来法では赤外光に対する透明基板および金属基板の双方が必要であるため、性質の大きく異なる基板が薄膜に与える影響が無視できず、構造異方性のより正確な計測の隘路となっていた。そこで長谷川氏は、金属基板によって膜面に垂直な電場を作ることを別の手法で実現できないかと考え、斜入射透過測定を行い、その入射角度を変化させて複数の計測結果を得る。また、光の進行方向に沿っての薄膜との相互作用成分を求めることにより、膜面に垂直な電場による計測と等価の結果を得ることに成功した。ここでは、化学種が複数混在する系を多波長で計測してそれぞれのスペクトルを得る際に用いられる回帰式(Lambert-Beerの拡張式)を、発想を転換して適用した。
 このように、従来の相補的分析法である透過吸収法と反射吸収法に相当するものを同時に実現して、物質膜の構造異方性(分子配向)の情報を取得するという極めて斬新かつユニークな計測手法を創出した。
 また、本方法をフーリエ変換赤外分光器(FT-IR)に組み込んで、簡便かつより正確に薄膜の分子配向解析が可能な装置の製品化も実現した。
 MAIRS法は、有機半導体デバイスやDNAチップなど、今後さらなるニーズが予想されるナノ薄膜材料を作り出す上に不可欠な「分子配向を的確に捉える分析技術」として、その意義は極めて深いものがある。また、既に普及しているFT-IR装置に組み込んで使用することが可能なため、比較的短期間に広く普及する可能性が高い。事実、製品化以前に大学・企業の研究室にプロトタイプが販売されている。
 長谷川健氏は、この独創的な方法の原理を2002年に発表したが、その後の5年間に欧米を初めとする6カ国の国際学会に招待されたほか、多くの公的研究資金を獲得している。また、海外の代表的メーカがその特許の使用契約を結んだ事実も、その実用的価値が高いことを示している。
 以上の理由から、長谷川健氏の業績は第7回山崎貞一賞に相応しいものと認め、本賞受賞とする。

研究開発の背景

 本研究は、 以下に述べる二つの異なる背景を、仮想光計測という特殊な概念で結びつけることで、達成させたものである。
 液晶素子などの超薄膜による分子デバイスは、高度に設計された分子が配列することによって実現される。このため、分子の配向を官能基単位で理解することは、材料開発にとって基本的な技術となりうる。官能基単位で分子情報を解析できる手法としては赤外分光法が有力で、種々の測定方法が提案されてきたが、細かな既知の光学定数を使った高度な光学計算が必要である。また、測定に必要な二種類の異なる基板が構造解析の精度を原理的に劣化させる原因になるなど、誰でも簡単に分子配向を明らかにするというのは、意外に難しいという背景があった。
 一方、物理法則は、等式を用いて記述するのが常識である。すなわち、左辺の物理量は、右辺の理論的記述と完全に結び付けられている。ところが、物理量が‘測定値’の場合、状況は変わってくる。測定値にはノイズなど、理論的に説明できない部分が付随し、理論的記述とは無相関の因子が必ず含まれる。こうした系を表現できる式を回帰式といい、無相関因子を収めた残余項が付随するのが特徴である。受賞者は、この残余項をノイズに限定する必要はなく、理論的な記述に無相関な量ならばよいはずだと考えた。つまり、測定値の半分程度しか理論化できなくても、回帰式を使えば理論式として測定値を表現できることになる。これは‘計測理論’ならではの面白い特徴であると考え、これを利用した計測法の創案を目指した。

業績内容

 上で述べた二つの背景は、仮想光計測という考え方により、一つにつながった。
 ここでいう仮想光とは、光の進行方向に平行な電場振動を持つ、いわば縦波の光である。縦波の光が仮に実験に使えるとすると、これを垂直透過させるだけで、膜面に垂直な方向に振動する分子振動が選択的にスペクトル測定できる。従来、膜面に垂直な電場を発生させるには、薄膜支持基板を金属にして、表面で光を反射させることが常識であった。しかし、仮想光が使えればこの呪縛がなくなり、金属基板を使う必要がなくなる。
 そこで、仮想光の光学理論を直接作るのではなく、仮想光の存在を仮定することで斜入射光の透過光強度の‘一部’を簡単な線形結合様式(行列の積)で表現し、残りを放置したまま回帰式で表現した。その結果、まるで仮想光が使えたかのような測定結果を回帰計算から算出することに成功し、世界初の'非金属基板上での純面外振動モードの測定'を実現した。この方法は、膜面に平行な振動モードのスペクトルも同時に得ることができるため、純面外モードスペクトルとバンド強度を比較するだけで、簡単に分子配向解析を官能基単位で行えるようになった。
 この方法は、多角入射分解(multiple-angle incidence resolution; MAIR)分光法と名づけられ、Langmuir-Blodgett膜をはじめとする、有機超薄膜の構造解析に威力を発揮することが、多くの実験事例から確かめられた。また、測定プロセスの自動化により、誰でも簡単な操作で面内・面外スペクトルを得ることができ、分子配向解析をルーチンワークのレベルに簡易化することができた。


本業績の意義

 MAIR分光法は、仮想光計測と回帰式による計測理論の構築という二つの新しい概念の創造からなり、光計測の考え方に新しい考え方を示すことができた。 また、誰でも簡単に薄膜の分子配向解析ができるようになり、特に結晶性の低い高分子薄膜中の分子配向を、はじめて明瞭に描き出せるようになった。これは、分子素子やコーティング材料の基本構造の理解に大きな力となることが期待でき、材料開発の基本技術になっていくことが期待される。

写真

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