第4回(平成16年度)山崎貞一賞 計測評価分野

全偏光現象対応型分光計(Universal Chiropitical Spectrophotometer)の開発と固体状態試料への応用

受賞者 受賞者
黒田 玲子 (くろだ れいこ)
略歴
1975年 3月 東京大学 理学系研究科 博士課程修了 理学博士
同年 6月 ロンドン大学
King's College, Research Associate
1981年 6月 同 カレッジ生物物理学科 Research Fellow,
同年 11月 同 Honorary Lecturer
1985年 4月 英国ガン研究所 senior staff scientist, 
同上兼任
1986年 4月 東京大学 教養学部 助教授
1992年 4月 同 教授
1996年 4月 東京大学大学院 総合文化研究科 教授
現在に至る

選考理由

 黒田玲子氏は分子レベル及び生物個体レベルにおけるカイロモルフォロジー(Chiromorphology = キラル(Chiral、鏡像性)な形態(morphology)を意味する黒田教授の造語)の識別、創成、増幅、転写等とその機構解明について先端的な研究を行い、世界的に未踏の研究分野を切り開いてきた。その研究途上においてキラリティーに関する従来の測定装置における不備、特に生体関連試料測定における問題点に着目して、測定装置の設計・製作にまで踏み込んだ研究の必要性を痛感し、以下の業績を挙げるに至った。
 同氏は固体、粉体、液体、ゲル状物質、生体関連試料の偏光現象をくまなく測定することを可能とする分光測定装置、Universal Chiroptical Spectrophotometer(UCS)を開発し、キラリティーが関与する物質系、生物系の諸現象を究明するための道を拓いた。すなわち、従来、巨視的異方性(LD、LB)が大きいため、固体に適用できなかったCD分光光度計を改良し、結晶、フィルム、液晶や生体に近い状態での生体物質等の試料に適用可能で、固体やゲル状態の試料のキラリティーに関係するすべての光学的性質、つまり円二色性(CD)、円複屈折(CB)、旋光分散(ORD)、直線二色性(LD)、直線複屈折(LB)を測定できる汎用型分光計Universal Chiroptical Spectrophotometer(UCS)を設計・製作した。この装置は、検光子を回転させることにより異方性除去を可能としており、コンピュータ制御による試料回転機構や、試料の表面と裏面測定を可能とする機構を有している。また、流動性試料の重力の影響による変形、密度分布の変化等を避けるために、試料を水平に保持して測定を可能としている。このような装置とミュラー行列を用いる光強度計算法により、巨視的異方性を除き真のスペクトルを得るための測定法を確立した。
 同氏は、上記の装置により、測定法の応用範囲を物質系、生物系双方を含む非常に広い範囲に拡張することに成功した。すなわち、ウシ血清アルブミン(Bovine Serum Albumin、BSA)のような生体高分子を例としてキャストフィルムの測定を行うと共に、β-アミロイドタンパク質の溶液からの凝集過程をリアルタイムで追跡することに成功した。
 同氏の開発した装置を用いると、将来、キラリティーを切り口とする新しい固体化学を展開することができ、また、生物界におけるキラリティーの役割を究明するための極めて強力な手法を提供することができる。したがって、固体化学と生命科学の進歩に大きく貢献することが可能となり、多方面から大きな期待が寄せられている。
 以上黒田玲子氏の業績は、山貞一賞計測評価分野の受賞候補者としての要件を十分に満たしているので本年度の受賞者とする次第である。

研究開発の背景

 右手を鏡に写すと左手になるが、このように、鏡像と実像が異なることをキラル(カイラル)という。キラリティーはミクロな分子からマクロな物体まで、さらに非生物界から生物界まで共通して見られる現象であるが、生命世界ではホモキラリティー(地球上の全生物に共通してタンパク質はL-アミノ酸のみから、核酸中はD-(デオキシ)リボースのみから構成されている)のために特に重要である。
 固体状態では分子が密に詰まっており分子間の相互作用が強いために、分子のキラリティーの識別が溶液状態よりも桁違いに強く表れるし、キラリティーが固体状態のみで現れることもある。生命世界のホモキラリティー確立には固体が関係していた可能性もある。固体の化学はまだ未踏の分野であり、溶液とは異なった新しい化学の展開が期待される。 キラルな固体化学を推進するためには固体状態のCD(円二色性)スペクトルを測定しなくてはならない。しかし、固体特有の巨視的異方性(LD、LB)はCDの信号よりも100−1,000倍も大きく、また、偏光変調分光器であるCD分光光度計の系統的誤差と試料の巨視的異方性がカップリングするために偽信号が入り込む。このため、固体状態のCD測定は特殊な場合を除き市販の分光装置では不可能であり、新しい分光装置と計測方法の開発が待たれていた。

業績内容

 巨視的異方性を取り除き真のスペクトルを与えることのできる新しい全偏光現象対応型分光装置UCS(Universal Chiroptical Spectrophotometer)を、ミュラー行列・ストークスベクトル解析法に基づき開発し、測定方法も考案した。UCSの命名は、偏光に関係するすべての光学的性質、つまり円二色性 (Circular Dichroism:CD) 、円複屈折 (Circular Birefringence: CB)=旋光分散 (Optical Rotatory Dispersion:ORD)、直線二色性 (Linear Dichroism:LD)、直線複屈折 (Linear Birefringence:LB) を測定できることによる。UCS-1、UCS-2の2台を作製した。

USC-1(第1号装置)
従来装置からの代表的な改良点は、
  • 50、100 kHzの二つのロックイン増幅器があり、両信号の同時測定が可能。
  • 検光子の光路からの離脱が可能。50、100kHz信号との組み合わせで、すべての光学的性質の検出が可能。また、検光子を回転させることで異方性除去が可能。
  • コンピュータ制御により試料を回転させながらCD信号の測定が可能。
  • そのための試料回転ホルダーおよびそれに着脱可能な試料ホルダーも開発。異方性打ち消しに必要な試料の表面と裏面測定が可能。
UCS-2(第2号装置)
UCS-1のもつ特徴に加え
  • 流動性試料の重力の影響による変形、密度分布の変化等を避けるために、全反射プリズムにより光路変更し、回転する試料ホルダー上に試料を水平に保持して測定が可能。
  • 試料室内、検出器の前位置に積分球が設置され、拡散反射スペクトルが測定可能。このため直交した2つの光電子増倍管を有する。(2装置とも日本分光株式会社と共同制作)。

 UCS-2は粉末結晶、単結晶、ジェル、LB膜、フィルムなどの測定ができ汎用性である。しかも、溶液から膜生成過程等、相転移をリアルタイムで測定することも可能である。
 これらの測定装置と測定方法で測定・解析することで異方性が除去され正しいCD、CBスペクトルが得られることを、硫酸ニッケルの単結晶に対しKronig-Kramersの関係式が成り立つこと、キラルでないのに大きな偽信号を示すPVA filmが確かにゼロのCDを示すことなどから確認できた。
 さらに、応用を生体高分子に広げ、アルツハイマー病の原因たんぱくであるβ-アミロイドの溶液からの凝集過程をリアルタイムで追跡することに成功した。溶液状態ではα-へリックス構造をとるが、短時間の間にβ-シート構造に凝集する様子が観測された。

本業績の意義

 固体状態のキラリティー測定は長らく不可能と思われてきており、一方、巨視的異方性の存在を知らずに市販の装置で測定して誤ったスペクトルが報告されるなど、問題があった。固体状態試料の測定も可能なこの2台の分光光度計が開発された意義は大きい。これからの発展が大いに期待されている固体キラル化学研究には不可欠の装置となるであろう。さらに2台目の装置は、試料を水平に置けるユニークな特徴を持っている。蛋白、核酸などがキラルな分子であることを利用し、これら生体物質を溶液でも固体でもないより生体に近い状態で測定することが可能となる。さらに、相転移、構造の経時変化などの追跡も可能となり、将来の多岐にわたる展開が期待される。

写真

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